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日语系毕业论文:耻意识文化

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初めて“恥の文化”という言葉を聞いたのは、一年生のころだ。その時私は“変だなあ。”と思い、“どうして日本人の文化を恥の文化というのか。”、“恥の文化はどうして生じるのか。”、“その言い方は正しいかどうか。”などいろいろな疑問が私の頭に浮かんできた。その時の私は“恥の文化”という言葉の意味を恥ずかしい文化(恥の多い文化)、自慢できない文化、と理解していたのだ。

日语系毕业论文:耻意识文化

恥は他人の批評に対する反応である。人は人前で嘲笑され、拒否されるか、あるいは嘲笑されたと思い込むことによって強く恥を感じる。つまり、“恥の文化”とは、“恥”ということをとても大切にしている文化、のことなのである。

日本の文化を“恥の文化”といったのはアメリカの文化人類学者ル-ス・ベネティクトだ。当時は第二次世界大戦のために、アメリカは学者を動員して、日本の文化、経済、地理などを科学的に研究したのである。そして、ベネティクトは日本に行くことなく、日本に関する書物、日本人の作った映画、在米日本人との面談を材料として研究を進め、対象社会から文化類型を抽出しようとする方法に基づいて、名著‘菊と刀’を書いた。この著作の中で、“恥の文化”という概念を使用したのである。これが“恥の文化”という言葉が生まれた背景である。

“恥”という言葉そのものの意味は私たち中国人には、よくない言葉だ。日本人にとってもよくないだろう。だが、日本人はこのように言われても平気である。それは“恥”を大切にしているからであろうか。ではなぜ日本人は“恥”を大切にするようになったのか。現在の日本では恥の文化はどのように変化しているのか……これらのすべてを理解したいと思う。

一、“恥の文化”の根源

ル-ス・ベネティクトの‘菊と刀’(長谷川松治訳)によれば、日本人は恥辱感を原動力にしている。明らかに定められた善行の道標に従いえないこと、いろいろの義務の間の均衡をたもち、または起りうべき偶然を予見することができないこと、それが恥である。恥は徳の根本である、と彼らは言う。恥を感じやすい人間こそ、善行のあらゆる掟を実行する人である。“恥を知る人”とは、あるときは徳の高い人を、あるときは名誉を重んじる人を指している。日本人の倫理において“恥を知ること”は西洋の倫理において“良心の潔白”、“神に義とせられること”、つまり、罪を避けること占めているのと同じ位置を占めている。

つまり、日本人の生活においては、恥が最高の位置を占めている。恥かしいと言う気持ちがなくなれば人間は終わりだ。日本人の行動規範は、恥にある。彼らは何をしても、“もしそうすれば、、笑われるだろうか。”“周囲の人はどう思うか。”“人の目に自分がどう映っているか”をとても気にする。いずれの場合においても、恥は強力な強制力となる。もちろん、日本人にも罪の意識が存在する。ただ、日本人は、罪の重大さより恥の重大さに重きを置いている。

だから、世界の文化を“罪の文化”と“恥の文化”に区別すれば、日本の文化は間違いなく“恥の文化”に属するに相違ない。

だが、なぜ日本人はそんなに恥を大切にするのか。恥の文化がうまれたのはなぜだろう。それは社会的な原因によるものと思われる。

“恥の文化”が出現するのは日本の社会的な構造と深い関係がある。はるか弥生時代に始まる稲作文化の影響がある。日本は農業国であり、水稲耕作のため昔から村落共同体を形成していた。村落社会は、“家”を単位として、その家族共同体(“家”のメンバ-)は緊密な結合関係にあり、村落共同体には閉鎖的な人倫共同体が形成された。そこで親密な感情的、情緒的な人間関係が形成されていた。農村では今日もなお、田植えや稲刈りには近隣同士が助け合い、共同作業を行う習慣が一部に残っている。狩猟文化と異なり、定住水稲耕作を維持するためには、常に集団作業と共同体秩序とが必要であった。また、儒教思想の影響も無視できない。徳川幕府は朱子学を取り入れたので、忠孝を重んずる道徳は江戸時代以降特に広まり、“家”制度の強化にもつながった。家長を始め,家族の成員は“家”に従わねばならず、武士階級は一朝事あれば、御家断絶と、連帯責任を取らされた。独立した個人の意思、個人の主体性は形成されようがなかった。

こういう背景の中で、日本人は自分の行動に対する他人、特に共同体の成員の批評に常に気を配っている。他人と違う行動をとることを避ける傾向がある。他人がどう思うかを気にし、絶えず他人とバランスをとり、他人から影響を受けたりする。つまり、自分が他人に迷惑をかけているかどうかである。このような見方、態度、行為によって、“恥の文化”といわれる日本人の国民性が形成されてきた。

二、昔の日本人の恥意識と現代の恥意識との比較

人間の社会は常に発展している。原始社会から、現在の資本主義社会、社会主義社会へと発展してきた。人間の意識も変化している。日本人の恥意識も例外ではないだろう。

ここでは日本の社会を戦前と戦後に分けて考えてみたい。戦前の日本は絶対主義的天皇制が支配する社会にあって、階層制度はとても厳しかった。‘菊と刀’に取りあげられているが、日本人には“各々其ノ所ヲ得”という観念がある。この観念も戦後しばらくは残りつづけていた。封建的な階層秩序に従って、各人は自分にふさわしい位置を占めていなければならないのである。明治維新後はじめて、近代化の道を踏み出し、工業、特に重工業はずいぶん発達して、都市化も始まったが、農業はやはり主要な位置を占めていた。まだ封建的な農村共同体であり、工業に比べると農業の発達は鈍く、米作を柱とする零細経営が営まれていた。貧困な農村共同体は低賃金労働力の温床であった。ここでは特に“孝”を美徳にして、“家”が守られており、そのために、戦前の日本の恥意識はとても強く残存していた。

戦後、農地改革が行われた、しかし、農工の格差のため、農民は子女を工場に出稼ぎに出すことがますます多くなった。特に、高度経済成長により、大量の農民が都市に出た。また、耕耘機やトラクタ―、いろいろな家電製品が普及して、農業の機械化と農村生活の近代化が進んだ。このような近代化と相まって急激な貧困化、過疎化は、農村社会が共同社会として機能としていくことを衰退させていった。

だから、このような社会構造の変化によって、現代の日本人の恥意識はずいぶん変ってきた。つまり、現代の日本人の恥意識は昔より薄くなっている。

昔の日本人の恥意識は強い共同体の規制の中で自らが自らを省みて恥ることがないかを問うという傾向が強かったのに対して、今は、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいという傾向が強いようである。つまり、共同体意識がなくなり、日本人の恥意識は昔より、かなり薄くなったと言ってよい。

昔の恥意識の根本は、名、名誉、自尊心、誇り、倫理、羞恥心、礼儀、節度、廉恥、意志、信念、誓い、約束、規律である。自分が相手の名誉を傷つけたと悟ったらいかなる相手であろうと(子供であろうと、弟子であろうと、部下であろうと、後輩であろうと)その者を怖れ、恐怖する。しかし、もし自分の名誉が恥ずかしめられたと知れば、相手が誰であろうと、将軍であろうと、主君であろうと、一人でも報復に行く勇気を起こさせる。徳川初代の将軍であった家康に関して伝えられている物語の中にそのよい例が見られる。家康のある家臣は、家康が彼のことを、“あれは魚の骨をのどに立てて死ぬような男だ”と言ったということを耳にした。武士の面目にかかわるような、死に方に対するこの誹謗は、彼にはとうてい我慢のできないものであった。その家臣はこの恥辱を生涯、いや死んでも忘れまいと誓った。そのために、その家臣は家康を倒してこの恥を雪ぐために敵側の諸侯に内通し、内部から江戸に火をかけて焼き払うことを申し出た。この話における、この家臣の行為こそ典型的な恥意識のあらわれといってよい。

それに対して、現在の日本人の恥意識の原因は外聞、迷惑、見栄、噂、批判、不遠慮、世間体、世論、外見、他人の意見などのようである。特に高度経済成長期以降生まれの日本人は、他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいと思っているようだ。つまり、他人に迷惑をかけなければ、何をしても恥ずかしくない。だが、迷惑の基準がよくわからない。何が迷惑で何が迷惑でないかは、それぞれが自分で判断するしかない。臆病になれば、人に会うことさえできなくなるし、大胆になれば、人の迷惑などぜんぜん気にならなくなる。電車の中で化粧をしてもそれが迷惑かどうかは考えていない。だから、恥ずかしくはない。電車や街で平気で大声で携帯電話をかける。街の中でも乗り物の中でも平気で床に座る。人前での化粧、人前での私的な電話、地べた坐り、これら昔は恥ずかしいこととされていた行為が今では平気で行われるようになっている。恥の意識はどこにあるのだろうか。共同体秩序の崩壊、そして特に高度経済成長期以降、いわゆる人間関係が稀薄になってきたことによって、この傾向はいっそう拡大されつつある。